2008年11月24日月曜日

重心

重心が安定すると心も落ち着く。
 
重心を安定させるために、凡人や一部の動物は、片足に体重をかける。片足にうまく体重が乗り、安定している間は、心も安らぐわけだ。

しかし、ひとたび動き出すとその安定した重心は失われる。するとたちまち心の安定も失われる。

どのような動きの時にも安定した重心を失わない身体の在り方。武術はそれを追求する。

2008年11月19日水曜日

吐き出すこと

隠さずに自分を表現するのがいいのだと思う。
だけど、とりあえず無理に言葉を連ねて表現したときの後味の悪さ。
表現するにも、時期というものがあるのだろう。
今は、その時ではない。

2008年11月11日火曜日

ためるのはやめて

ためるのはやめて
吐き出すへし
とらえるのではなく
奏でなさい

2008年11月6日木曜日

アメリカ新大統領

オバマがアメリカ新大統領になった。

人種や世代という見えない壁を打ち破った――。オバマ氏が米大統領に当選した4日、高揚感は地元シカゴから全米へと広がった。深夜に当選速報が流れると同時に、支持者たちの歓声が各地でわき上がった。有権者が投じた1票の積み重ねは、ブッシュ政権への「ノー」をはっきりと示した。(11月6日http://www.asahi.com/ より)

これじゃあ、帝国軍が崩壊した後のスターウォーズの世界だな。そもそもスターウォーズは、民主主義のあり方や、それがいかにして帝国的なものに変貌するかについて、鋭い人間観察に基づいてよく描かれていると思う。しばらくはこの地球も平和が続き、やがて反映を取り戻すことであろう。

2008年10月24日金曜日

府知事

大阪の橋下徹府知事が府内の高校生12人と意見交換をしたらしい。

「義務教育までは平等に扱う。その先は定員があってずっと競争。それが世の中の仕組みだと自覚しないと」だそうだ。

一方で、道路が「必要か不必要かは最終的に政治判断」するんだそうだ。

道路が必要か不必要かについては、《競争》じゃないんですね。


今お金がないのはわかるけど、30年先、50年先を考えると、道路と教育のどちらに投資をするのが正解だろうか。

橋下知事は、きっと歴史には名を残さない。

歴史を動かしているもの

歴史を動かしているもの
それは、大衆の行動である。選挙をし、消費をし、工事をし、事務をする。
歴史を動かす仕事の担い手である、彼/彼女らの存在がなければ、現在はないのである。

そのとき、そのときにおいて、歴史を動かしている大衆の姿を描いていこう。

2008年10月23日木曜日

ニュース

まあ、あんまり心配するな。
テレビを点けると悪いニュースばっかりだが、報道されないいいニュースもあるわけで。

今がいい状態なのか、悪い状態なのか、自分には判断できないのである。
人間、万事塞翁が馬。

だったら、いつも楽しく過ごしていようよ。笑っていようよ。

2008年7月24日木曜日

少しずつ、できるところから、

面倒でいやな仕事でも、とりあえず、
どんな小さな部分からでもいいから着手してみよう。
実際に手を動かして作業を進めよう。

調べなきゃいけないことがあったら、
面倒がらずに調べよう。

時間がきたら、はい、それまで。

2008年7月22日火曜日

やる気を出す方法は・・・

どうも仕事がはかどらない、集中できない。
集中できないのは他動性・・・とかいう病気だろうか?
それとも一生の仕事に出会っていないから?

集中できない、そんなときは図書館に行く、喫茶店に行く。
なんでもいいから、集中できる環境を作ってみよう。
コーヒーを飲む。紅茶を飲む。コーラを飲む。緑茶を飲む。
2杯飲む。3杯飲む。体操をする。マルクスを読む。

いろいろ試してみよう。

その成果の積み重ねで立ち現れるのが、探しているあなた自身だ。

2008年5月23日金曜日

大衆文化史

大衆文化史とはいっても、僕の大衆文化は、生身のからだをもった大衆の文化だ。大衆はどこに自分のからだを運んで、どんな空間で音楽を聴いていたのか、酒を飲んでいたのか、スポーツを楽しんでいたのか、のんびりしていたのか。

2008年5月18日日曜日

法則

世界を裏で操り、ある方向に導く法則はない。法則があるのではなく、たまたま今あるような仕組みで動いているだけである。世界とはすべからく、水の濁りが沈殿してたまった泥のような秩序である。水のブラウン運動と、重力、シンプルな運動法則の結果、たまたまできあがった形象である。今あるような泥の形へと形成するような法則はない。シンプルな運動法則の結果、たまたまそうなったのである。人生もすべからく同じである。非常にシンプルな法則のみが働いていて、その結果、今ある生活があるだけである。

2008年5月10日土曜日

コミュニケーション上の敬意の扱い方について

コミュニケーションのあり方について

議論や雑談の過程で、目の前の相手に自分の意見を開陳するというのは、どうも後味が悪い。自分の意見を開陳するという行為の背後には、どうも自分を大きく見せようという美しくない欲望があるようだ。敬意を自分に集めたい人の行為だ。

論争とは、自分が正しい側に立っていると考えて、そこから相手の間違いを叩きのめすことだったりする。相手の考えの全体のうち、自分の立ち位置(あるいは当座の意識内容)から見えない部分を対話を通じて探り出し、相手の考えを理解すること。背後には、相手への敬意がある。これが正しい学問的姿勢ではないのか。

敬意は集めるものではなく、自分から払うもの。

2008年5月2日金曜日

つまるところ・・・

つまるところ僕の研究ってぇのはこういうことだ。
ある人の働きにより世の中がどう変わったかということ。その結果、それまであったものがなくなり、新しくでてきたものもあっただろう。現在が今あるようにできあがり、別のあり方にならなかったのはなんでだろう?これを人物の働きから見てみるんだ。法律によって世の中が変わるってこともあるんだけど、その法律だって誰かが苦労して作るんだから。
なに?ひとりの働きで歴史が動くわけじゃないって?もちろん、誰だっていろんな人に助けられて仕事をするもんだ。でも、ひとりの働きの大きさを馬鹿にするもんじゃないよ。あんただって自分の仕事に歴史を動かす意味があると思えばやる気も違ってくるだろ?
(『ある博士の記憶』)

2008年4月4日金曜日

大衆文化

大衆文化を議論する際、なぜ消費する側ばかりに焦点が当てられるのだろうか。そんなに両者を分けられるものかどうかという問題はあるにせよ、大衆文化にも、それを提供する側と享受する側が存在する。

大衆文化論というと、もっぱら酒を飲んだり、映画や演劇を観たりといった消費の側面にばかり目が向いている。

大衆文化は時代を形成する。そして、大衆文化を生産する形態と、消費する形態の両者が重要な役割を果たす。

2008年3月30日日曜日

知識人

アエラ08年3月31日号の姜尚中氏 愛の作法「イタリアの思想家 ネグリの人気に思う 新たな知識人像とは」

「知識人」という言葉には歴史的に、ネガティブとポジティブの2側面があったとか。

「前者では、新たな時代を切り開くために大衆を指導することを使命とし、社会の変化を的確に理解して方向性を示す人々。後者では、知識や教養を持ち、言葉を弄するけれども現実的には役立たずな人々としての呼称です。」

確かにそうだった。

「現実には役立たずと」思いながら、結果として大衆を指導することになってしまった知識人が理想だ。

大衆を指導することを使命だと自任してしまうのは、知識人の驕りじゃないか。大衆は、そんな簡単にある人物に指導されるほど甘くない。

あくまで個人的な興味で、現実には役立たずと思いながら、しかし、しっかりと現実に足をつけて、知的探求を粛々と進める人。これが理想のような気がする。

2008年3月22日土曜日

バイオ原料への転作歓迎!

農産物のバイオ原料への転作や、原油の高騰などで、食品が値上がりしているんだとか。
まあ、今までちょっと食べ過ぎてたからね。食事の量が減れば、健康にはちょうどいいんじゃないかな。ついでに医療費も削減されて、実は結果オーライだったりする。

包装材の高騰とかで、スーパーで並ぶ食品も大変なんだって。でもそもそも石油を使った包装材は、安いから使われてたんでしょ。安くなくなったら、紙とかリサイクル容器とか、別のものに変わる、あるいは使わなくなる。

マスコミは大変だ大変だと不安をあおるが、こういう変化をたくさん経験しながら、人類はここまで来た。これからも人類は進歩していくのみだ。気にするな。