2008年5月10日土曜日

コミュニケーション上の敬意の扱い方について

コミュニケーションのあり方について

議論や雑談の過程で、目の前の相手に自分の意見を開陳するというのは、どうも後味が悪い。自分の意見を開陳するという行為の背後には、どうも自分を大きく見せようという美しくない欲望があるようだ。敬意を自分に集めたい人の行為だ。

論争とは、自分が正しい側に立っていると考えて、そこから相手の間違いを叩きのめすことだったりする。相手の考えの全体のうち、自分の立ち位置(あるいは当座の意識内容)から見えない部分を対話を通じて探り出し、相手の考えを理解すること。背後には、相手への敬意がある。これが正しい学問的姿勢ではないのか。

敬意は集めるものではなく、自分から払うもの。

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