2009年1月27日火曜日

エリート

エリートとは、エリート以外は存在しないか、あるいは矯正すべき対象であるのみで、政策として考慮すべき対象ではないと考える人たちのことである。「民間人」委員に求められるのは、一般大衆の視点であり、官僚や政治家と結託して彼らと同じ視線で考えるエセ民間人委員なんてクソである。

2009年1月24日土曜日

フロー 楽しみの社会学

チクセント・ミハイによるフロー概念は、大衆文化を考察するのに有力な概念である。

2009年1月23日金曜日

カルチュラル・スタディーズの真髄とは

カルチュラル・スタディーズの真髄とは、大衆の生活、行動を、権力との関係でとらえることであるといわれる。あるいは、十把一絡に捕らえられがちな大衆の意識とやらを、、空間的、時間的に割っていくこと。本来は多様であるはずの大衆の意識が、あたかも集合的、画一的な性格をもったものであるかのように見えている状態を、割っていくこと。

2009年1月21日水曜日

大衆文化と人間の生命力

20世紀初頭の大衆文化について研究してみたい。大衆文化とは、大衆に活力をいれるはずのものである。これは文化の消費者のみならず、提供者にしても同様だ。商品としての文化を生産するものも、消費するものも、その活動を通して生命力を回復させる。大衆文化とはそのようなものだ。そして、生命力の復活をともなった娯楽こそ、真の余暇(ヨゼフ・ピーパー)である。

然るに、そのような活力の源泉としての大衆文化は、産業化の進展とともに衰えてしまった。それは、文化の工場化が進んだからである。提供される文化は工場で生産され、消費の場も工場となってしまった。

例えば居酒屋を考えてみよう。食材は工場で加工され、ひどい場合は、完成品に近い状態で店舗に送られる。野菜は刻まれて無菌消毒パックされた状態で、フライ類は衣をつけて、煮物は完成品をビニールパックされた状態で出荷される。お店でやることといえば、パックをあけて焼いたり揚げたり、ひどい場合は盛り付けたりするだけだ。

お客はといえば、これまた工場で企画・製造されたテーブルに、マニュアル化されたスタッフのサービスを受けるだけである。

工場での企画された行為のやり取りで構成された儀式には、生命力の復活は期待できない。

2009年1月16日金曜日

用語辞典(→ウィキペディアへのリンク)【身体文化編】

整体
武道
空手
合気道
大日本武徳会
嘉納治五郎
植芝盛平
グレイシー柔術
前田光世

スポーツと飲み屋とフーゾクと

どれもスポーツ新聞、夕刊紙のネタであり、大衆文化の極みだ。
男にとっての、真の余暇の時間である。

なぜスポーツ新聞を読むのか。一般紙のスポーツ面ではないところがポイントだ。あのプレーの瞬間、選手は何を考えていたのか、プレーの前日、何をしていたのか。「プレー」を「決断」に、「選手」を「政治家」に置き換えると、スポーツ紙の中の政治記事だ。
新聞記事の内容は、一般紙とスポーツ紙で異なる。一般紙の場合は、結果に重点をおいた記述をとるが、スポーツ紙や夕刊紙では、日々の経過を報道する記事で内幕が描かれる。ココがポイントだ。

同僚の本音を探る、飲み屋で話す内容と同じである。

日常の中のハレの場。

2009年1月9日金曜日

やる気

やる気があるとかないとかじゃない。やるんだ。

・・・確かにそうなんだけど、やる気が起こらないは本人が悪いのじゃなくて(そういうこともあるかも知れないけれど)、やはり力が湧いてこないという(病気も含めた)本人の状態は、動かしがたい事実なのだ。そういう人に、いくら「やるんだ!」っていったって、どうしようもない。

じゃあ、どうすればよいか。力が湧いてくるように導いてあげればいいのだ。そのためにも、まず好きなことをさせるのが一番。そしてその好きなことをどのように社会的な方向に向けさせるかがポイントだ。少しベクトルをずらすのだ。