2009年4月22日水曜日

パノプティコンの身体

自分で自分の身体のことがわからない。現代人は自分の身体を、医者や科学者、メディアのいうことのみを通して理解している。現在の自分の状況は、自分ではなく、外部にいる人こそがよく理解しているということだ。

つまりこのことは、ミシェル・フーコーがいう、一望監視施設=パノプティコンのシステムそのものではないか。監獄では、中央の監視室から放射状に建物が伸びていて、その先に監獄が配置されている。明かりで照らされた獄室内の様子は、中央の監視室からはよく見えるが、獄室からは、真っ暗な監視室の様子を知ることはできない。つまり囚人たちは、監視人が実際に自分をみているかどうかは知ることができず、観られているかも知れないという不安は、常に観られていると幻想を抱かせることになる。こうして囚人は、監視下に相応しい従順な行動を内面化する。

現代人の身体をめぐる状況はまさにこのことではないか。獄室内を照らす光は、まさに人体に関する科学の言説だ。科学の言説の対象として浮かび上がった身体については、みえるが、当の科学的言説が、自分の身体について本当に語っているかどうかは定かではない。しかし、科学がすべてを説明できる(しているはずだ)という幻想は、本人が科学の言説を操作し得ないが故に、身体についての自らによる判断を放棄させる。

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